★☆ 無線との出会い ☆★


★6石トランシーバー (27MHz帯 / 1波固定タイプ)★
     《
無電テレビ工業株式会社製 6石トランシーバー》

小学校6年生の時、親にトランシーバーをねだって買ってもらった。
なぜ「トランシーバー」だったのかの記憶はないが、当時は電子ブロックが流行っており「ラジオ」を作ることや「うそ発見器」、「メトロノーム」、「電子クラクション」なんかも作ることができた。部品を組み合わせるだけでいろんなものに姿を変えることにとても驚いた。こういったものに影響されてメカニカルなトランシーバーが欲しくなったと思う。
トランシーバーは2個セットで売られているように相手方がいなくては遊べない。
ちょうど近所に仲の良い同級生が居り、公園とかで少し離れて交信をしていたが、いったいどこまで届くのか?に興味が沸き、お互い自転車に乗りながら反対方向へ進み距離が離れても聞こえるのを確認しながら更に距離を延ばしていく。
ひとつの直線の道で行っていたこともあり、見通し距離である。結構離れても交信できることに驚いたが直線で300M〜400Mほど離れると雑音ばかりで聞こえなくなっていた。それでも子供心にこんなに離れても聞こえるなんてスゴイ!と感銘した。
遊ぶ時は毎回どこまで聞こえるか?ということに焦点を置き、違う場所で色々と試しながら遊んでいた。
そんな中で、電柱が倒れないように取ってあるステー線にロッドアンテナをくっつけて送受信すると格段に感度が上がることを発見!!お互いの距離が付属のアンテナでは限界点に達した頃、お互い近くの電柱ステー線にくっつけて送信するとハッキリと聞こえた。こうすれば大丈夫だ!そうなると欲が沸きもっと遠くの電柱へと距離を延ばし、付属のアンテナ同士での限界距離の倍以上は交信することができた。当時は理屈抜きに新発見の満足度に友人と2人感激していた。

そんな友人宅と自宅との距離は直線上で約150M程度。その間には家も建て込み見通し距離ではなかった。
庭先同士で試すも、なにか喋ってるような気配はわかっても、なにを言ってるかは把握できなかった。電柱マジックを使うとなんとか聞き取れるようにはなったが、直線間での実験距離よりはるかに近い距離でも、障害物が間にあると感度が極端に落ちることがわかった。家の中同士では全くダメでこういうものかと納得せざるを得なかった。

27MHz帯なので、時折違法CB局(トラック)のダミ声が強力に入ってくる!誰やこれは?と思いながら「おっさん誰や?」とPTTを押下していた。当然相手に届いてるわけがなく一方的に双方の交信が聞こえてくる。変な人たちもトランシーバーで遊んでるんだなと思っていた。当時無線と言えば「タクシー」くらいしか思いつかなかったこともあり、タクシー仲間同士で交信しているのかとも思った。

ある日のこと、友人となんとか家に居ながらにして電話のように話ができないか?ということを考えた結果、あの電柱マジックを思い出した。なにか線をつなげばいいのではないか!ということだ。早々自分の部屋(6畳間)の天井に沿って四角にIV線を張りループ状にして引き込み線を繋ぎ、先端にワニグチクリップを付けてトランシーバーのロッドアンテナに繋いだ。半信半疑にSWを入れると雑音のノイズレベルが今までとは明らかに大きくなっており、PTTを押下して「聞こえるかい?」と言うと友人宅内よりうん!聞こえるよ〜とハッキリ聞こえた。このときはビックリすると同時に今まで成しえなかったことの達成感も相まって感動した。友人宅内でも同じようにアンテナを張り巡らせ再度試みると、先程よりバッチリ聞こえる。スゴイ!
この日の夜から電話代わりに話すようになった。当時は電話はお金がかかるものとして、必要以上に使わないように教育されてきたこともあって、タダで話ができることが嬉しかった!ちょっと離れた友人(約800M)にも教えてやったところ、アンテナを張ることでちゃんと聞こえた。他の友人たちには真似できない自分たちだけが夜、友人たちとおしゃべりすることができる設備を自慢げに思っていた。


このままでも満足していたのだが、人間というものは段々と欲が出てくる・・・。もっと遠くの友人たちとは話せないものか?ということだった。そんな中で一人の友人が、父親のものだと言ってちょっと高価そうなトランシーバーを持ってきた。我々の持っているものと違ってだれでもすぐに使えるというものではなく、免許が要るということだ。正確には申請が必要ということだった。高出力なら遠くへ電波が飛ぶというくらいの知識は既についていたため、興味が沸いた。これは「CB無線トランシーバー」というものでとてもカッコイイ!!
すぐに欲しくなったのは言うまでもなく、お年玉を崩し足りない金額は親に穴埋めしてもらってソニー製のCB無線機を手に入れた。
8ch仕様で、今までのトランシーバーとは2chに合わせると交信することができた。時計機能も内蔵しており、なんといってもSQUELCHがついているため静かに待ち受けすることができるようになった。とても高価なものを手に入れた喜びで嬉しくもあり楽しかった。唯一の悩みは単一電池8本仕様のため、電池代にお金がかかることであり、小遣いがほぼ電池代に消えていった。

アンテナは内臓式のロッドアンテナだけだったが、今までとはくらべものにならないほど、綺麗に受信できワンランク上の設備環境を手に入れた喜びに満ちていた。またシグナルメーターもついていたので受信する信号の強さが手に取るようにわかった。
それから3年ほど経ちもっと電波が飛ぶのが「アマチュア無線」というのを知った。ただ国家試験という医師になるような意味合いの試験をパスしなければならないという壁が出てきたが、当時の仲間の間ではみんなで免許を取ろう!という意識が高まっており、最初に教科書で一通りの知識を付け、その後問題集をやることで把握点の確認を行い仲間内でわからないことはアドバイスしあってスキルを高めていった。自分でもかなり勉強した方だと思う。試験日も今のような土日ではなく、当時は平日だったため、学校を休んで試験会場に向かうことになる。やがて国家試験日が到来し「無線工学」「電波法規」の問題を見たら、よし!勉強したとこばかりだ!テンションもあがり出来栄えは上々だ。試験問題を持ち帰って答え合わせをしてみると、完璧ではないものの合格圏内ということがわかった!ヤッタ!・・・・・。しかし、正式な結果が来るまではやはり不安なこともあり、約1ヵ月間がとても長い時間に感じた。
ある日学校から帰ってくると、通知書が届いており、恐る恐る見ると「合格」!の文字が・・。ヤッタ!ヤッタ!すぐに友人たちに連絡を入れると皆も合格していた。ひとつの大きな山を越えた大きな喜びでいっぱいだった。

その後、無線機を入手し免許状の到着を待っての開局となったのだが、この免許状が来るまでが実に長く、約半年以上の年月が必要とされた。
免許証の到着まででも試験日から3ヶ月ほどかかり、コールサインが決定するまではさらに3〜4ヶ月ほどかかるため、この間はじっと待つか、或いはクラブコール/2で出るかの選択肢しかないが、自分はじっと待っていた。この当時入門バンド=50MHzというのが常識となっており、自分たちも迷わず50MHzデビューした。やはり同じ年代のニューカマーでいっぱいで、学校が違っても、同じ趣味を持つ同士としてすぐに仲良くなることができ、横同士の繋がりも広くなっていった。
よく聞いた無線機としてはFT-625D、TS-600、IC-551、RJX-601が代表格だった!SSBモードは初めて体験することになったが、AMとは桁違いに小さな電力でも遠くまで電波が飛んでいった。これがアマチュア無線なのか!と格の違いを見せ付けられたようだった。

そんな開局からはや35年が過ぎようとしている。途中あまりアクティブでない時期もあったが、完全にQRT状態になることはなかった。細々ながらもずっと続けてきており、すべて50MHzの世界だけであった。最初に飛び込んだバンドだけにやはり愛着があるのと、50MHzは唯一昔からの正統派ハムが多く残っており、無線らしいバンドということが好きだった。
ここ10〜20年の間に、昔は高値の華でとても買えなかった無線機も中古で買いあさり、ラックに収めて当時を懐かしく思い出す。。。
これぞ至極の喜びである!
近年では交信相手局数の観点からHF帯CWがメインになりつつあるが、50MHzはなくならない。

 
この先も無線は一生の趣味として続けていくだろう。。やはり「King of Hobby」と言われるように、趣味の王様だと思っている。この流れで無線の世界に足を踏み入れ、35年経った今は最上級資格の第一級アマチュア無線技士のライセンスまでを取得し、よりアクティブになって続いている。それだけ奥が深い世界でもある。
小学校時代、親に買ってもらった6石トランシーバーがこの世界の扉を開く「鍵」になったのである。
                                                                           
                                                                                                                                  〜完〜